Hさん

高校1年の頃、仲の良かったHさんがいる。

 

好きな作家の趣味が合うことと、私が立て続けに深夜アニメの話をしても全く引かず、興味を持って聞いてくれていたことから高校入学後すぐに打ち解けた。

中学時代、一部のグループからいじめ(そんなに酷いものではなく、無視など)を受けていたこともあり、高校の人たちとは当たり障りのない会話だけをして過ごしていくつもりだったが、彼女とは親友になれそうだなと思っていた。

なんというか、話の温度感や醸し出すオーラが自分に似ていると感じたのだ。一緒にいて全く苦しくなかった。

 

後から分かったことだが、彼女は摂食障害(拒食症)だった。

思い返せば、彼女は身長が161センチと、当時クラスで3番目に高かったのに体重は30キロ台だった。

摂食障害だと思っていなかった当初、私は彼女のスタイルを褒めまくっていた。自分はクラスで2番目に身長が高かったが、痩せた彼女の方が背が高く見えた。

特に、脚のラインが綺麗でいつも見惚れていた。

 

また、昼食の量がいつも少なかった(子供用の小さな一段のお弁当箱にご飯が無く、サラダとりんごとバナナが敷き詰められていた)。

そして、昼食後長い時間トイレに篭っていた。おそらく吐いていたのだと思う。

 

他にも、いつも腕に包帯を巻いていて多分リストカットの跡を隠していた。

いつも笑顔だったが、心の中にある闇を隠していたのだと思う。

 

彼女は、入学から2ヶ月の6月に、成績は良かったが欠席が多すぎて退学になった。

 

彼女のメールアドレスを知っていた私は、彼女にダイレクトにこう聞いてしまった。

 

「Hちゃんってもしかして拒食症ですか?心配です。また会いたいです。」

 

本当に頭が悪くて呆れるメールだったと思う。

勿論返事は返ってこなかった。

当時はこのことが辛すぎて6月以降は学校で誰とも話さず、「聲の形」の将也みたいにクラスメイトの顔が×で覆われていた。

もう返事をしてくれることはないしFacebookにも出てこないから消息は不明だが、どうか彼女には生きていてほしいと強く思う。

 

一般的に、社会とチューニングが合わない人は死にやすい。協調性がない人を人は嫌うからだ。扱いづらいものは淘汰される。

 

チューニングが合わない人とチューニングが合う自分は、世間に合わせているつもりでもどこか浮いてしまっている気がする。

 

普段は努力してギリギリ周りに合わせているが、気圧の変化などで体調が少しでもぐらつくとチューニングがずれて、社会的に死にやすい行動(遅刻、欠勤、無愛想な態度など)を取ってしまう。

 

チューニングがずれるたびに、社会で生きる為に必要な信頼を失っていく。あと何十年生きるか分からないのに。

 

残りの人生を生きる自分のために、社会に対して誠実に生きたい気持ちと自分自身に対して誠実に生きたい気持ちが常にバトルを繰り広げている。

バトルに勝つか負けるかはその時の自分の気持ち次第だし、感情が強くなりすぎると自殺したくなることもある。

死を選べばこのバトルは終わるのだと思うと、自分でそれを選択したいというのは極めて自然な欲求だと思う。

死の直前に、走馬灯が流れてきてこれまでの生を一番強く意識すると言われるように、生きたいという気持ちと死にたいという気持ちは紙一重だ。

 

紙一重の中で、生を惰性でも選んでいる今日という日に祝福を。